-
tSEIIIUtiaiEii I I 晶 現代人間論系 精神文化論プログラム 宗教の世界 田島照久
-
.-dilfiRi-E=.ESLL 担当科目・研究領域 ・ゼミ・ 「現代と宗教思想」 。演習 「信仰の論理」 ・ブリッジ科目・「宗教学1」、「宗教学2」、「宗教思想」 ・現代人間論系総合講座1「現代人の精神構造」 ・特にゼミでは、現代における宗教のあり方を、宗教哲学、宗 警欝宗ら雛畏膿覇慧雛鍵鴇護麓鍵歎 現代的課題である諸宗教共存の問題などぜひ取り上げてみ たいと考える。 ’姦綴劉臨龍騎艘織巌畢鷲議鞠融惹さ も研究。文化構想学部の授業ではこうした領域のさまざまな 鷺羅鴇議儲甕留灘勲鷲上げて人間
-
。IMSasfi:ifk-一 本日の基礎講義のテーマ なぜ人間は宗教を持つのであろうか われわれ人間の社会に宗教がある理由とは
-
tS“lllfilltiE,。. II倫 「よく神など信じられるな」 ・近代以降、事物や世界の理解が、われわれすべて の人間が共有できる普遍的説明原理によって裏付 けられ、そうした共通理解の下で、グローバルな交 流世界が実現されてきた。この場合普遍的説明原 理となっているのが、われわれの世界に内在する法 則・規則を明らかにした科学的知見である。科学的 知見の普遍性が共通理解をもたらしたということが できるでしょう。しかし翻って考えますとあらゆる個 別的なものを超越している「神」という概念ほど普遍 的である概念はないはずです。しかしわれわれは絶 対超越的な「神」という普遍概念を容易には受け入 れようとはしない。
-
L ・’、≡繭τ戸卍・ 一 現代の代表的な宗教学者である ミルチャ・エリアーデ ・1907年.ルーマニアのブカレストに生まれる ・21歳でインドに渡り、ヨーガを学び、研究する。帰国後ヨーガ 臨醸疑i鯉鷲漂籠慈裂撲劉羅嬢 ・2次大戦中は文化担当の外交官としてイギリス、ポルトガル に滞在、戦後パリにとどまり、窮乏の中『宗教学概論』、『永 遠回帰の神話』、『シャーマニズム』、『ヨーガ』、などの代表 作を発表。 ・1956年にアメリカに移り、1957年ヨアヒム・ヴァッハの後任と してシカゴ大学の宗教学主任教授となる。『聖なるものと俗な 雲鍛鴇獺離温襲籍睾騨味』・『世界宗教史』
-
1勇一脅 ㊧ Mエリアーデ『聖なるものと俗なるもの』 ・「非宗教的人間は近代西欧社会に至って始めて完 全に発達を遂げた。近代の非宗教的人間は一つの 新しい生存の状況を引き受けたのである。…人間 は自ら自己を作る。そして彼は、ただ彼が自己自身 と世界とを非聖化する程度に応じてのみ、実際に自 らを作り得る。聖なるものは、彼と彼の自由との間に ある障害である。彼自身が完全に非神秘化されな い間は、彼ぱ彼自身になることはできない。彼は最 後の神を殺してしまうまでは、実際に自由ではあり えないのである。」
-
ltsdi3itfiYE 近代の非宗教的人間が引き受けた 一つの新しい生存状況 。人間の価値の根拠を人間以外のものに求めないこ と ・世界の存在の根拠をこの世界を超越したものに求 めないこと ・人間が人間らしく生き、自己実現をするには、この 経験世界がすべてであり、わたしがわたしの主人で あるためには、いかなる権威も外に認めないこと ・すなわち、最後の神を殺してしまうまではけして真 の自由を得ることができないと決意すること
-
.l-」lilltfiNE=-di4 19世紀のデンマークの哲学者キルケゴールの 『死に至る病』(1849年)の冒頭 ・「人間は精神である。精神とは何であるか。 精神とは自己である。自己とは何であるか。 自己とは自己自身に関わる一つの関係であ る。」
-
.1!t-ltlefikik.1 晶、 人間は自己の存在の終わりを了解している ・われわれ人間は自己に関わることによって、自分自 身の有限さを了解する ・われわれが終わりある存在であることに気がつく ・すなわち自分の死を受け止めている存在、それが わたしである ・こうした自己の有限性の自覚なくしてはけっして永 遠や無限への眼差しは生まれない 。精神である自己は自己の有限性を介して無限や永 遠ということを問題とせざるを得ない存在
-
一一 現代のカトリック神学者カール・ラーナー『キリ スト教とは何か、現代カトリック神学基礎論』〉 』 ・人間の認識と自由な行為がそのときそのとき に個別的な対象となる事象的存在者を超え て、そうした認識や自由な行為を可能にして いる無限なる根拠へと向かうことを「超越」と 呼ぶが、そうした超越という精神の営みは人 間存在に構造的なものであると語る
-
・,・ .:11 Li)11 ・ ㊥ 宗教のメッセージ ・宗教はわれわれがなぜ存在しているのかという理由と目的 を明確に説明しようとする。しかしそれを理解するかどうかは 鷺踊難窺懸評された事柄ではなく・むしろ感情に ・究極的な価値判断に関わる場では感情の働きが主導的 ・宗教はそれゆえ人間の感情という側面に深く根を下ろしてい るといえる ・人間の存在理由と目的は現にある宗教の数だけ、真理要求 を伴って説かれていることになる ・唯一の真理と称するメッセージが数限りなく並び立っている 現実が宗教の現在 ・どれを受け入れるかという応答は結局のところ、自分の気持 ち心に、ぴったりと合うという感情の同意に基づくもの